2001.08.16 (木)   K2Couple No.0048 

御巣鷹山の尾根
おすたかやまのおね(群馬県)
1,570m
悲惨な日航機墜落事故、鎮魂の尾根

コース最大標高差 : --- m
コース累積標高差(+) : ---
コース累積標高差(−) : --- m
コース距離 : --- km
行動時間 : 2'25"
 空の安全を祈る鐘と昇魂之碑
  10:20 = 11:20 中里村 11:40 = 12:00 上野村 【L】 12:20 = 12:50 登山口駐車場
 登山口駐車場 13:00 ... 13:50 昇魂之碑 13:55 ... 15:05 みかえり峠 15:10 ... 15:25 登山口駐車場
 登山口駐車場 15:30 = 慰霊の園 = 17:10 鮎川温泉 18:00 = 19:00

 御巣鷹山尾根の場所

鮎川温泉 金井の湯 (¥600)


 1985年8月12日18時56分26秒、羽田発大阪行日航ジャンボ機123便が御巣鷹の尾根に墜落した。

 我が家は広島に向かう途中の明石竹内家で賑やかな酒宴の最中であり、この航空機史上最悪の惨事を知ったのは翌朝の
 新聞だった。
 群馬県上野村の山中に墜落したと知って、衝撃はなお更に大きかった。
 乗員乗客520名の死亡が確認され、奇跡的に4名の生存が報じられた時の緊迫感は忘れ難い記憶として残っている。

今年の夏は17年忌にあたり、墜落現場と同じ多野郡に住む者として、痛ましい犠牲者の鎮魂を願って御巣鷹の尾根に登ります。

上野村まで来たのは、恐竜の足跡と不二洞以来久しぶりだ。
更に落石が散乱するダム建設用道路を辿ると、御巣鷹尾根の登山口に着いた。
ここの場合、登山口という呼び方に違和感を感じます。

見上げるほど大きい観音像は花で飾られ、横には墓参者用のテントが張ってあったが人影はない。

ここから墜落地点に建立された昇魂之碑までは、スゲノ沢沿いに標高差250mの登りです。

 登山口の御巣鷹観音像

登山口から木々の間を約20分。
急な坂道を登り切ると、正面に御巣鷹の尾根が望めるみかえり峠に着く。
墜落現場までは、ここで半分道中だろうか。

墜落地点に到着。
墓標があちこちに散在しています。
昇魂之碑の周りは急峻な山腹に犠牲者の墓標が果てしなく建ち並び、520名という犠牲の凄まじさに圧倒される。
命日から四日しか経っていないので、花がたくさん手向けられていた。

事故当時救援にあたった警察官、消防団員、自衛隊員の苦労が容易に想像できる未開の山中だ。

 御巣鷹茜観音

国民的アイドル歌手、坂本九をはじめ著名な人達も大勢帰らぬ人となった。
圧力隔壁の破損に始まる機体の損壊が原因で、迷走飛行を続けた。
その時の乗員乗客の心情を想うとき、やり場のない悲しみに包まれる。

働き盛りの50代。
新婚らしき若い夫婦あるいは兄妹か。
幼い子供の墓前の玩具やお菓子が涙を誘います。

どうぞ安らかにお眠り下さい。

 御巣鷹茜観音石碑
     墜落後の様子や救助活動を伝える当時の映像(NHK)                日航機の残骸を伝える当時の画像

     御巣鷹の尾根登山で私は霊感を受けました。
     途中、私達はいつも沢沿いを登りましたが、私には、なにか水の流れが、私たちに語りかけ、
     登山を励ましてくれているような気がしました。

     そして私の願いは、あの御巣鷹の尾根で、又、他の七つの大陸の全ての墜落現場で、亡く
     なられた方々への想いが、こんなことを二度と起させまいとする私達の努力にいつまでも力を
     与えてくださる事です。

         - すげの沢のささやき碑  by Jim Bernet -

 ある犠牲者の慰霊碑


 みかえり峠の地蔵さん     ▲ みかえり峠から御巣鷹山を振り返る


 みかえり峠着。
 峠から墜落地点が見通せるが、今はすっかり木々に覆われ当時の凄惨な山肌の面影はない。
 涙を堪えながら再来を誓って峠を後にするであろう遺族の気持ちは、察するに余りある。

 見返り峠 ・・・ なんと悲しみに満ちた響きなのでしょう。
 この峠が、犠牲者の魂が眠る御巣鷹の尾根を見渡せる最後の場所なのです。
 
2006年7月、新しい道路が開通して、この登山道は全面通行止になり、みかえり峠から尾根を望む事はできなくなった。(後日記)

 御巣鷹の尾根での挨拶は、 「こんにちは」 ではなく、「ごくろうさま」 だった。

        ▲ 上野村慰霊の園の慰霊塔                  慰霊の園の納骨堂
    ( 身元識別不可能として、この地で荼毘に付された犠牲者のご遺骨が123の壷に納められている )